魅惑のFFスポーツ!ホンダCR-X三代=Look back over the CR-X Gen.3=
最終更新日 2021/10/9
昔は良かった・・・何についてもたまに耳にする言葉ですよね。平成も過ぎ去り、令和の世になった2020年においても「昭和レトロ」ブームは静かに続いているそうで、その中心は20代以下の昭和を知らない若者たち。彼らがなぜレトロに惹かれてしまうのか?
子供のときからケータイあり、インターネットありのデジタルネイティブ世代は、すべてが便利でスマートに進む今のプロダクトに味気なさや無機質の冷たさを感じ始めたのかもしれません。それはクルマにも言え、今やPCで膨大な計算処理が行われる設計開発段階を経て、高い精度の製造過程により造られるモデルにはAIまで搭載され、誰がどんな使い方をしてもほぼ均一の性能やクオリティが提供されます。
引用:https://www.kinzoku-kakou.net/
そのアンチテーゼとして、手を掛けて直し・磨き・改造してようやく走る”昭和車”に、「苦労を買う」かのごとき愉悦を求める人も増えているようです。
さて、今回のクルドラでは、名車ヒストリーとしてホンダCR-Xを取り上げます。歴代ホンダ車の中では三代限りと比較的短命でしたが、反面今日も多くのファンを抱える昭和生まれの”名コンパクトスポーツ”の歴史を辿り、人気の理由をご紹介していきます。
目次(タップで飛べます)
CR-Xのミニヒストリー
任天堂が初代ファミコンを発売し、東京ディズニーランドが開園した昭和58年(1983年)に、CR-Xは誕生しました。
CR-Xのクルマとしてのトピックは、まだジャンルとして認識されていなかった”FFライトウェイトスポーツ“という分野の先駆となったことでしょう。この定義は今日まで続くクルマのセグメントになりました。
初代から3代目まで一貫してシビックとコンポーネンツを共有する兄弟関係にありましたが、オーソドックスなハッチバックおよびセダンであるシビックに対し、CR-Xは思い切って後席の居住性は度外視した2+2クーペ。そのことが軽自動車並みのショートホイールベースを実現し、超軽量の車体もあってCR-Xのスポーツ度を高めることになります。
引用:https://www.autocar.jp/
そうした車体のディメンションに加え、初代後期から投入されたDOHCエンジンはスペック、実力ともに高いレベルにあり、当時フジテレビで放送されていたF1人気にも後押しされ、クルマ業界はホンダブームとも呼べる現象が起きました。
初代から3代目までの大まかなモデルヒストリーは以下の通りです。
初代は新ジャンルのデュエットクルーザー
初代CR-Xは正式名称を「バラードスポーツCR-X」と言います。
当時のホンダは販売店が3チャンネル制となっていて、プリモ・クリオ・ベルノの3系統になっていました。この内、プレリュードを中心としたパーソナルなクルマを得意分野としていたベルノ店には、シビックの兄弟車である4ドアセダンのバラードというクルマがありました。CR-Xもシビックと共通のコンポーネンツを使い、またベルノ店での取り扱いとなることからバラードスポーツと呼ばれることに。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
初代CR-Xは通称”ワンダー”と言われる3代目シビックのモデルチェンジのタイミングで投入される形ですが、新車発表としてはワンダーシビックよりも2か月ほど先行する格好となりました。3ドアハッチバック・4ドアセダン・5ドアシャトルと三つのボディタイプを持つシビックに対して、CR-Xは3ドアファストバッククーペです。
コーダトロンカデザインの斬新なルックス
そのルックスは斬新でパッケージングを実質2人乗りと割り切ることで、リヤエンドには”コーダトロンカデザイン“を採用。ちなみにコーダトロンカとは、ファストバックモデルの車体を後部に行くほど絞り込み、最後尾をスパッと切り落としたように成形されるデザイン手法で、1961年のアルファロメオジュリエッタが祖とされています。
引用:https://www.asahi.com/
リヤシートはあるにはありますが当時「1マイルシート」と呼ばれており、じゃあ1マイル=1.6kmなら我慢できたかと言えば正直キツかったです。そもそも海外仕様では完全2シーターでしたからね。
インテリアでは先のリヤシートより前側はほぼシビックと同じで、今の目で見ると微妙ですが、当時は先進的に感じられたデジタルメーターやエレクトロニックナビゲーター(トリップコンピューター)なども選択装備できました。
引用:https://b-cles.jp/
ベースのシビックよりホイールベースを大幅に短くして運動性能を高める一方、フェンダーやサイドプロテクターにポリカーボネートの新素材を使い軽量化にも注力。結果車重はわずか800kg台に抑えています。
その軽量ボディに1.3ℓと1.5ℓのSOHC12バルブエンジンを搭載し、1.3ℓは優れた燃費性能を、1.5ℓは燃料噴射をPGM-FI仕様とすることで気持ちの良い走りを実現しました。
真打登場はF1のホンダが放つDOHCエンジン
しかし何と言っても初代CR-Xのトピックは、約一年後の84年に追加されたSiグレードの登場でしょう。
Siに搭載されたファン待望の1.6ℓ直4DOHC4バルブのZC型エンジンは、低回転域からのトルクが太く、ロングストローク仕様にも関わらず高回転まで一気に吹き上がりをみせ、後世にも”名機”として語り継がれていくユニットです。
シリンダーヘッドのデザインもホンダF1のそれを感じさせるもので、筆者も含め当時意味もなくボンネットを開いては眺めていたオーナーも多かったようです。
引用:https://goo.to/
また、ボンネット上にDOHCの証である「パワーバルジ」と言う”出っ張り“があるのも、特別感があり所有欲をくすぐりましたね。このパワーバルジはもちろん飾りではなく、タイミングベルトを覆うヘッド部分を逃がすためのものです。もちろん兄弟車となるシビック3ドアハッチバックにもSiグレードは追加されますが、軽量ショートホイールベースのCR-Xの方がスポーティなハンドリングは評価されています。
マイナーチェンジでスッキリ顔へ!
今とは違いクルマの改良ルーティンがほぼ4年と定まっていた当時、デビューから2年後の85年にCR-Xはマイナーチェンジが行われました。これまでCR-Xのエクステリアの特徴であった”セミリトラクタブルヘッドライト“が、輸出仕様の「シビック CRX」と同じ固定式タイプに変更され、これでシビック3ドアとはフロントドアから前の部分は同じマスクになりました。
ちなみに海外では「CR-X」のRとXの間の「–」がありません。日本では登録商標の関係でハイフンを入れざるを得なかったそうです。
Siグレードでは内装、メータパネルが変更されるとともに、外装ではサイドシルのデザイン変更や前後バンパーの大型化、ツートンカラーの廃止などが行われました。
当時はエアロパーツが流行の兆しを見せてきた時代。アフターパーツなどでドレスアップする場合、全身をモノトーンのフルカラー仕様(まぁ大概ホワイト)にするのが一般的でしたが、CR-Xもその時流に乗った感じです。当時、限定販売された特別仕様車でもそのことが伺えます。
また、メカニズム的にはステアリングに待望のパワーアシスト付きモデルが選択できるようになり、1.5iとSiのオートマ車ではシフトが4速ロックアップへ進化しました。
二代目はVTECで武装したFFサイバースポーツ
1987年の9月、シビックシリーズが通称”グランド”と呼ばれる4代目へとモデルチェンジしたタイミングで、CR-Xも2代目へと進化します。このときにはベルノ店のバラード(4ドアセダン)は、後継のクイントインテグラの登場により消滅していたのでCR-Xも車名からバラードスポーツが外れ、単に「CR-X」となりました。ちなみにカタログのキャッチコピーから2代目は「サイバー(スポーツ)CR-X」と呼ばれることが多いです。
引用:https://ikikuru.com/
キープコンセプトながら全方位進化
スタイル、フォルムは初代のキープコンセプトと言え、全体がフラッシュサーフェス化されてよりワイド&ローなエクステリアになりました。コーダトロンカと呼ばれたリアデザインも踏襲、但し2代目では初代で不評だった後方視界を確保するため、リヤエンドに”エクストラウインドウ”を採用。
エクストラウインドウのガラスには黒のピンドットがプリントされていて、スモークガラスのように外からラゲッジルームは見えませんが、車内から外は見ることができます。
初代から昇華された2代目CR-Xのリヤ周りデザインは、コーダトロンカデザインを日本で定着させ、後の初代インサイトやCR-Z、あるいはトヨタプリウスなどにも継承されていく造形手法となりました。
なお、ワンマイルと言われた後席は、初代に比べると”やや”マシになり、これなら膝を抱えればワンマイル位なら何とかなりそうな仕様にはなりました(笑)。
引用:https://twitter.com/EnthuCarGuide
CR-Xは初代も日本初のアウタースライドサンルーフやルーフベンチレーションなど、屋根にトピックを持たせていましたが、2代目には先代にない”グラストップ”と呼ばれるオプションが設定されました。
これはルーフ全面が固定式のUVカットガラスに覆われるもので、グラストップには熱線反射材としてチタン皮膜も施されていました。そのため当初は夏場でも大丈夫とのウリ文句でしたが、やはり炎天下ではエアコンの能力を超えて車室温が上がるため、その後ディーラーオプションで取り外し式のサンシェードが設定されることになりました。
モデルチェンジ直後は1.5XとSiの2グレード展開で、前者は1.5ℓのD15B型エンジン、後者はキャリーオーバーされた1.6ℓのZC型DOHCエンジンを搭載。この内D15B型はSOHCながら1気筒あたり4バルブを持ち、ハイパー16バルブと称していました。
足回りも初代のストラット+車軸式から前後ともダブルウィッシュボーン式サスペンションが採用された他、1年ほど遅れましたが「3チャンネル式4wA.L.B.」、今で言うところのABS装着車もCR-Xに初めて設定されました。
クラス最強スペックのSiR誕生
1989年の9月、流れは初代によく似ていますが、サイバーCR-Xもマイナーチェンジのタイミングでエンジンに手が入ります。
以下2枚引用:http://www.speedhunters.com/
可変バルブタイミング&リフト機構、通称VTECを備えたB16A型エンジン搭載のSiRが追加されました。最高出力はネット値で160PSに達し、排気量1ℓあたり100PSという市販車のNAエンジンとしては驚異的な出力を実現していました。
B16A自体は89年4月にモデルチェンジしたインテグラに先行して積まれていたので、そこまでのインパクトは感じられませんでしたが、車重の軽いCR-Xに積まれたことで従来のSiを上回るパフォーマンスに以降、人気が集中しました。
なお、このSiRは5MT車のみの設定となります。
エンジン以外では、フェイスリフトでフロントバンパーおよびヘッドライトの形状が変更された関係で全長が若干伸びた他、ボンネット形状も変わったことから、初代および2代目前期型Siの特徴だったパワーバルジは不要となり廃止されました。ここは少し残念に感じたものです。
ジムカーナでは無敵のサイバースポーツ
ツーリングカーレースでは同じエンジンを積んだシビック SiRが活躍しましたが、CR-Xはショートホイールベースによるクイックな操縦性が身上で、コーナーが連続するような場面では無敵に近く、格上クルマを凌ぐ速さも見せつけました。そのためタイトターンやスピンターンが決め手となるジムカーナでは、ほぼワンメイクとなるほどの大人気車でした。
CR-Xの車歴で見てもこの2代目サイバーが、人気・実力とも絶頂にあったと言えます。
引用:https://playdrive.jp/
アラフォーに刺さる無限CR-X
㈱無限(現M-TEC)は、かの本田宗一郎氏の長男本田博俊氏が創設した主にホンダ車のチューニングパーツの開発、販売を行うメーカーです。かつてはチューニングパーツのみならずF1用のエンジン開発まで手掛けていました。
その無限のアフターパーツで固めたCR-Xは、現在の目で見ても十分に魅力的で、初代バラード、2代目サイバーと立て続けに用意された「無限CR-X PRO.」というフルエアロキットおよびアルミやマフラー等は当時垂涎の的でした。
引用:https://www.automesseweb.jp/
初代の無限PROはタミヤからプラモデルも販売されていました。また、サイバーの「無限CR-X PRO.2」は鈴鹿のF1日本グランプリ等でマーシャルカーとして使われ、サーキットを疾走するその姿に胸を熱くしたものです。
その記憶も含めて今もCR-Xファンという方は多いでしょう。閑話休題。
三代目はコンセプトを変えた太陽と風のデルソル
初代から2代目にかけては明確なキープコンセプトでFFライトウェイトスポーツとして歩みを進めてきたCR-Xですが、92年に登場した3代目「CR-Xデルソル」は大きく方向転換しました。
引用:https://www.min-chu.com/
クルマの成り立ち自体はこれまで同様、シビック(5代目)のコンポーネンツを使用しての二人乗り(2+2)クーペでしたが、そのキャラクターはオープンカー(厳密にはタルガトップのセミオープン)となったことで一変。どこか汗臭い雰囲気を漂わす先代から、もっと力を抜いて軽く流して走ることが似合うクルマになりました。
なお、このモデルからリヤシートのない完全2シーターになっています。
CR-Xのコンセプトを見つめなおしたモデル
筆者の知る限りでも当時は雑誌媒体等(スマホもSNSもない時代です)で「これのどこがCR-Xなの?」的な議論がなされていました。
何かで読みましたが、ホンダとしては3代目へのモデルチェンジにあたりCR-Xのキャラクターを原点から考え直し、初代が持っていたデュエットクルーザー的な部分。つまりパーソナルな二人のデートカーとしての出自を再解釈していき、DOHCエンジンを積んでから妙に独り歩きしてしまった”走り屋御用達”なクルマは本来の方向性ではない、と結論付けたようです。
引用:http://www.preceed.co.jp/
まぁ背景には、兄弟車のシビック3ドアもレース等の活躍から”走り”キャラが被っていることや、オープン化については当時、世界の自動車メーカーも後追いするほどの人気になっていた初代マツダロードスターを横目で見ていたことがあったかも知れません。
さらに言えばサイバーCR-Xは若者を中心に人気はありましたが、モデル後半に向かうほど需要は一部のマニア層に偏っていき、販売面で成功したかと言えば、次期型にキープコンセプトが許されるほどの状況ではなかったのでしょう。
クラス初の電動オープントップを採用
デルソル(スペイン語で「太陽の」という意味)とサブネームのついた3代目の特徴は、もちろん前述の通りオープンカーとなったことです。
引用:https://www.webcartop.jp/
オープン化の手法には”トランストップ“と言う電動式と手動式の二通りが設定されましたが、注目を集めたのは当然トランストップの方で、運転席からの操作だけでルーフの開閉ができました。
今で言うメタルトップ、クーペカブリオレにあたり、そのルーフの収納ギミックはスイッチ操作をすると、まずトランクリッドが真上に上昇。そしてリッド内から2本のレールが出てきてチルトアップしたルーフを捉えます。そのまま持ち上げてリッドの中に引き込み、トランクリッドは元の位置に下降します。
中々に凝ったシステムですが、機械的な構造としては既存のワイパー用のモーターを流用するなどコストも重視した設計で、手動式ルーフの17万円アップに止めた辺りにホンダの拡販への意気込みが感じられます。
引用:https://news.livedoor.com/
最近の電動式オープンカーのルーフ開閉速度は、ほんの数秒で、低速時なら走りながらでもオープンにできるモデルまであります。しかしトランストップはオープンにする時には停車が要件で、しかも開閉の途中には安全確認のため2度も停止箇所があり、結局45秒も掛かる操作になりました。アルミの軽量ルーフとなる手動式オープンの方がよっぽど早い、と言った意見もけっこうありましたね。
三代16年、最後のマイナーチェンジ
デビュー直後は、サイバーより出力アップした1.6ℓ170PSのB16A型エンジンを積むSiRと1.5ℓD15B型エンジン搭載のVXiの2グレード展開でしたが、95年のマイナーチェンジでVXiのエンジンは1.6ℓのSOHC VTECに換装され、グレード名もVGiに変更となりました。外観ではフロントマスクにあったアクセサリーランプが廃止となり、スッキリとした顔立ちに。
マイチェン後3年近くCR-Xデルソルは販売が続きますが、サイバーまでの走り屋さん達には当然需要はなく、かと言ってロードスター並みの新規顧客を開拓するでもなく、98年末を持って都合三代16年に渡ったCR-Xは生産終了となりました。
たらればはないですが、3代目がサイバー路線のテンロクスポーツとして正常進化していれば、どうなっていたのかなぁと頭を過ることはありますね。
未来へ続くCR-Xスピリッツ
一時高い人気を誇ったCR-Xでしたが、結局のところその名を現在のラインナップに残すことはできませんでした。
しかしながらデルソルは微妙なところはあるものの、初代やサイバーは旧車好きには今も人気のモデルです。
引用:https://www.ahresty.co.jp/
サイバーの項でも触れましたが、2代目はその優れた走行性能(特性?)から今もジムカーナでは現役モデルとして活躍していて、JAF全日本ジムカーナの1600cc以下のSA1クラスはEF型CR-Xの主戦場になっています。
またCR-Xとして現役続行は叶わなかったものの、そのデザインラインはホンダの財産として、例えば初代インサイトやハイブリッドコンパクトスポーツのCR-Zなどにも転嫁し、CR-Xを再認識させてくれます。
ハイブリッドのCR-Zも一代限りとなりましたが、今後クルマのEV化は不可避でしょう。環境重視のコンセプトなら小型で2人乗りのシティコミューターが量産されると思われますが、そのときホンダが販売するコミューターのデザインはCR-Xを彷彿とさせるものになるのは想像に難くありません。
以上、クルドラ的名車ヒストリー「魅惑のFFスポーツホンダCR-X三代」でした。
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それでも・・・