ラリーマシンの血統!三菱ランサーエボリューションⅠ~Ⅲ=Look back over the LancerEVO=
最終更新日 2021/10/9
そこまでのクルマ好きでなくとも、車名ではなく通称名だけで通じるモデルはいくつかありますが、本稿の主役である三菱ランサーエボリューション、通称「ランエボ」も間違いなくその内の一台にカウントされるでしょう。
もともと母体となるランサーは70年代に誕生した小型の2/4ドアセダンでしたが、競合他社との差別化のためラリーを中心とした競技参加を積極的に展開。走行性能に優れた小型車であるイメージを定着させました。特に2代目に設定されたターボモデルは、5速MTのみの設定や足回り等走行機能がすべて強化されていて、「ランエボ」の前身らしく「ランタボ」と呼ばれ人気を博しました。
その後ランサーは、同門のギャランやミラージュとの棲み分けや統廃合などのあおりを受け、存在感を失う時期もありましたが、91年登場の4代目からはまっとうな小型4ドアセダンへ回帰。併せてラリーフィールドでの勝利を目指し、ランサーシリーズで初めてエボリューションモデルが設定されました。
今回のクルドラでは、名車ヒストリーとして”ランサーエボリューション”ブランドの礎となったランエボⅠ~Ⅲまでにフォーカスし、91年の初代から2016年の10代目まで実に24年間も続くランエボヒストリーの序章をご紹介していきます。
引用:https://gt-garage.221616.com/
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ランエボ10代のヒストリー
三菱が世界ラリー選手権(WRC)グループAに参戦するために選択したクルマが4代目ランサー。参戦のためのホモロゲーション取得条件は、市販車バージョンを連続する12か月の間に2500台以上売ることですが、さらにグループAのレギュレーションではラリー用への改造範囲が限定されるため、おのずと市販車そのものに高いポテンシャルが要求されるようになります。
そこで誕生したのがランサーエボリューション・シリーズなのです。
ランエボⅠ: WRCだけを見据えた純ホモロゲモデル
三菱はギャランVR-4でラリーを戦っていましたが、さらなる戦闘力アップを図るためには、ベースマシンをより小型で軽量化することは必然。そこで91年にモデルチェンジしたランサーに白羽の矢を立て、93年からのWRCグループA参戦を念頭に置き、参加規程を満たすためのホモロゲーションモデルとしてラリーランサーエボリューション(以後ランエボ)を開発、92年に追加設定する形で発売しました。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
前述の通りグループAカーは12か月間に2500台以上生産された車両をベースに、規定の範囲内で許された改造を施したモデル。その範囲が狭いこともありベースとなるクルマに絶対的なパフォーマンスが求められるのです。
すべてはWRCのためだけに
ランエボの成り立ちはシンプルで、ギャランより一回り小さなランサーへギャランVR-4の強力なメカニズムを移殖するもの。さらにWRCのレギュレーション上、参加車両は市販モデルと同仕様との規定、つまりエアロパーツ等の変更は許されなかったため実戦に即した大型のリアウィング、専用のエアアウトレットが備わるアルミボンネット、冷却効率向上のための大きな開口部を持つフロントバンパーなどで武装されました。
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その姿は大人しいベースの小型セダンとはかけ離れた、正にそのままWRCグループA車両の出で立ちであり、事情に明るい者はそれがコケ脅しの”なんちゃって”ラリーカー風なのではなく、「本物」であることがツボにハマりました。
エンジンはノーマルモデルのトップグレードが搭載する1.8ℓDOHCターボ(4G93型)を45PSも上回る専用チューンされた4G63型2.0ℓDOHCターボ。サスペンション型式はチューニングこそ違え、ノーマルモデルと共通のフロント側マクファーソンストラット、リア側マルチリンクですが、リア側のマルチリンク式サスペンションはそもそもグループAのレギュレーションを睨んで開発されたもの。
普段使い可能な真正ラリーカー
派手な外観とは対照的に、インテリアはあまり通常グレードと大差ありません。目を引くのはMOMO製本革3本スポークステアリングとレカロシートくらいですが、ディーラーオプションに電圧・油温・ブーストを示す3連補助メーターがあるのが”気分”です。実際はオーディオ下の空きスペースを使うため視認性は悪そうで、少々後付け感は否めません。
前後とも足回りはスプリングやダンパーなどがランエボ用にかなり引き締められていますが、段差などでの突き上げ時以外には乗り心地に問題もなく、トランクやリヤシートの使い勝手なども元のセダンの素性の良さが生きています。
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そのため、心に”走り屋”を潜ましている当時のおとーさん方の「隠れみの車」としての需要もあったとかなかったとか。
予想を上回るオーダーが殺到!
ホモロゲーション用ながら、そこは市販のカタログモデル。ランエボにもグレードがあり、オートエアコンにオーディオ、レカロシートにアルミホイールを装備した上級グレードの”GSR”と、快適装備やシート、アルミ等は交換されてしまうことを前提として廃したストイックなシンプルグレード”RS”が用意されました。
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ランエボはホモロゲ取得のためだけに開発されたので、当初の生産台数は規程をクリアする2500台に限定されました。ところが発売3日で2500台が即完売、急遽追加でさらに2500台の生産が決まるほどの人気となりました。
最終ロットは7000台を超えるほどでしたが、三菱関係者もまさかその後20年以上続く看板モデルに成長するとは、この時はまだ考えていなかったかも知れません。
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EVOⅠの戦績は?
ランエボが誕生した背景はWRCのホモロゲート認証を獲得するため。イコールすべては三菱がWRCで「勝つ」ために存在するモデルです。それだけにデビューイヤーとなった93年には大きな注目が集まります。
前年まで戦っていたギャランVR-4も高いポテンシャルを築いてきたものの、ベースとなる車体が大きく重たいために限界が見えていました。そこへWRCマシンとしては異例なコンパクトサイズのモデルが登場し、その中身にはVR-4のコンポーネンツが詰め込まれているのですから、三菱だけでなく多くのラリーファンの期待も高まります。
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しかし93年の結果はイギリスのRACラリーでの2位止まりで、セッティングに手間取ったシーズンとなりました。またこの時期の三菱はWRCスポット参戦だったため、全13戦中6レースへの出走に留まっています。
ランエボⅡ: 勝つために初めてのエボリューション
ランエボⅠは高いポテンシャルを垣間見せながらも、いくつかの課題や問題点も浮き彫りになりました。三菱はそれらを克服するべく、ランエボを次のステージへと文字通り「進化」させます。ランサーエボリューションⅡの登場です。
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エクステリアの変更点はわずか
まずエクステリアについては小変更に留まった印象。目に付くのはタイヤが195/55から205/60へとサイズアップ。ホイールサイズは15インチで変化ないものの、アルミはOZ製の白い星型スポークのものが装着されます。
あとはリアスポイラーとボディの間に”ウイッカー”と呼ばれるゲタが咬まされた他、フロントバンパー下部に黒樹脂のエアエクステンションが付き、空力性能の向上を果たしています。
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これはランエボⅠのエアロパーツが、派手な造形のわりに空力効果やダウンフォースが不十分との指摘に対応したものです。
メカニズム系は大幅にアップデート
外観に対して中身は大きく改良が施され、まずエンジンに関しては燃料噴射装置などに三菱独自の最先端テクノロジーを投入し、吸排気バルブの改良と併せ従来型4G63から最高出力10PSアップの260PSを達成。低速でのトルクを太くし、ターボチャージャーの材質やピストン形状、マフラーにも手が加えられました。
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ランエボⅠで最も課題とされていたのは、”曲がらないクルマ”と揶揄されたアンダーステアの強いハンドリングでしたが、その改良のため足回りは大掛かりに変更され、スプリング・ダンパー・ブッシュ類の最適化やスタビライザーの取付位置とホイールアライメントの修正。ブレーキもパッドをヨーロッパ仕様に置き換えるなど、項目は多岐に渡りポテンシャルを引き上げました。
他にもリア側リミテッドスリップデフを変更し、コーナー進入時の回頭性を高めるとともに、加速性能を向上させるため1速、2速をローギヤード化したクロスレシオトランスミッションを採用。”曲がるクルマ造り”を実現しました。
インテリアはレカロシートのデザインがヘッドレスト一体型に変わり、スポーティな印象が向上。ステアリングはランエボⅠと変化ないものの、クイックレシオ化やパワステポンプの容量拡大など目に見えない部分にも手が加わっています。
“進化“という魅力を手に入れたランエボ
そんなランエボⅡはⅠ同様に限定モデルでしたがGSRで2,898,000円という、現実的な価格設定ということもあって、当時のクルマ好きや走り屋のハートを見事に射止め、またしてもホモロゲ認定台数以上の販売実績を上げ、三菱のドル箱モデルの仲間入りを果たしました。
引用:https://aucfree.com/
またこの頃からランエボ用のアフターパーツマーケットが形成され、専門ショップも次々と現れるなど、進化していくことが期待されるランエボブランドは大きなムーブとなっていきます。
EVOⅡの戦績は?
WRC94年シーズンの第5戦アクロポリスからランエボⅡが投入されましたが、このモデルから三菱渾身の新技術、電磁クラッチ式のアクティブデフが搭載されます。元来構造上曲がりにくい四駆システムを改善するため、デフを油圧から電磁クラッチに換え積極的に制御しようと試みました。
以下2枚引用:https://www.sun-a.com/magazine/
このアクティブデフをフロントとセンターへ盛り込んだことにより、ランエボⅡの戦闘力は飛躍的に向上。しかしながら94年の三菱はラリー活動の主流をアジア・パシフィクラリー選手権(APRC)に定めていて、WRCは相変わらずのスポット参戦であったため、確固たる実績を残すには至らず。
ランサーエボリューションのWRC初戴冠は、全戦参加が義務付けられた95年シーズン、ランエボⅡが2シーズン目に入った第2戦スウェーデンラリーでした。ここでランエボⅡは見事初優勝、しかもワン・ツーフィニッシュでそれを成し遂げます。
ほぼ同時期に三菱へ加入した稀代のラリースト”トミ・マキネン”のドライビングもあってランエボの、三菱の黄金時代がいよいよスタートしたのです。
ランエボⅢ:チャンプマシンとなる第一世代EVO完成形
車両型式から分かる通りランエボⅢはランエボⅡの基本構造から変更はなく、ポイントになるのは空力性能の更なる向上とエンジンのパワーアップ。特に空力に関しては、ⅠからⅡへの変化がわずかだったのに比べると、ランエボⅢは一目でアグレッシブになったと映るエアロパーツが光ります。
引用:https://lrnc.cc/_ct/17047876
WRCグループAの競争が激しくなるにつれ、高速バトルが不可避となり、エアマネジメントが勝敗を大きく左右するようになっていました。
空力パーツをアグレッシブに刷新!
そこでランエボⅢではバンパー、スポイラー関連を大きくモデファイ。フロントバンパーはインタークーラー冷却用の開口部を拡大し、Ⅱまで黒樹脂だったバンパー下部のエクステンションはボディ色仕上げの上、ブレーキ冷却のエアダクトとトランスファーへと風を送るスリットが配されました。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
ランエボのアイコンである大型のリアスポイラーもさらに大型化。水平部分は翼断面形状になり、エッジの効いたウイッカーと組み合わせて強力なダウンフォースを生み出し、後輪の接地性と操縦安定性に寄与します。
車名がエンボス加工されたボディ同色の大型サイドエアダムもランエボⅢの特徴です。
4G63型エンジンは2ℓ最強クラスへ
パワーユニットはピストンを変更し、圧縮比をアップ。中高速時のレスポンス向上に加え、タービンをハイフロー化して効率の良い過給も実現しました。排気系も径を太くするなど改良され、4G63型はランエボⅡ比で10PSアップの270PSに達しました。
引用:https://www.automesseweb.jp/
インテリアではイタリアMOMO社製ステアリングは、従来の「コブラⅡ」から「スピード3」に変更され、見た目のレーシー度はアップ(GSRのみ)。織物柄が変更されましたが、ヘッドレスト一体型のレカロシートも健在です。
フルオートエアコンやキーレスシステム、必要ならサンルーフも選択できる上級グレードのGSRと競技車ベースのRSというグレード構成はランエボⅠから不変です。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
第一世代ランエボの最終型は人気モデルに
ベースとなる4代目ランサーがフルモデルチェンジのタイミングを迎えるため、ランエボ第一世代としてはこのエボⅢが最終型となります。
メカニズム的な変更はランエボⅡほど多くはなかったものの、ランエボⅢはカラードパーツも増え、派手なエクステリアをまとったこと(特にボディカラー新色のイエローは鮮烈)、また後述しますがラリーでの戦績も合わせ、10代続くランエボ・シリーズの中でも特に人気の高い1台となりました。
引用:https://www.webcartop.jp/
EVOⅢの戦績は?
95年シーズンの第2戦スウェーデンでワン・ツーを飾った三菱は、この年の第4戦フランス・コルスからランエボⅡに替えてランエボⅢを投入します。
シーズンを通じてはリタイヤが目立ちましたが、デビュー戦で3位、第6戦オーストラリアでは優勝と試行錯誤の中でも結果を残し、マシンのキモとなる電子制御アクティブデフの洗練度は高まっていきました。
以下2枚引用:https://www.sun-a.com/magazine/
そして翌96年シーズンに入ると熟成したアクティブデフのレスポンスが、アグレッシブなアクセルワークを得意とするトミ・マキネン選手のドライビングに見事にフィット。全9戦中、優勝5回を数え、マキネン選手は見事にドライバーズチャンピオンを獲得。三菱は念願のWRC頂点に立ったのです。
ランエボⅢはその後97年シーズンの第3戦まで走り、第4戦からはランエボⅣにバトンを渡します。ランエボⅣは母体となる市販車ランサーがフルモデルチェンジを受けていたことから、Ⅰ~Ⅲまでとは全くの別物になりランエボ第二世代へと入っていきます。
世代が変わってもトミ・マキネン選手と三菱の蜜月は続き、97年にはランエボⅣ、98年にはランエボⅤ、99年にはランエボⅥをドライブして前人未到であったWRCドライバーズチャンピオン4連覇を成し遂げ、98年シーズンは三菱で唯一となるマニュファクチャラーズタイトルも獲得するに至りました。
引用:https://mitsubishiwrcars.blogspot.com/
栄光を刻んだランエボブランドも一旦幕
ランサーエボリューションはその出自から、かなり特殊なモデルと位置付けられていましたが、ラリーでの戦績やホモロゲらしい分かりやすい高性能アピールが市民権(クルマ好きの)を獲得し、日本を代表するスポーツカーへと成長しました。
実際、ホモロゲーションを取得してラリーに出走していたのは2001年中盤のランエボⅥまでで、それ以降三菱はグループA規格から移行した、より改造の自由度が高いWRカー規格での参戦へと舵を切ります。従ってⅦ以降、ランエボはホモロゲ対象という役割はなくなっていました。
引用:https://www.webcg.net/
ホモロゲ対象でないならランエボじゃない、という議論も一部にはあったようですが、もはや「ランエボ」は1ブランドとして確立されていて、三菱高性能モデルの代名詞としての役割を担うようになります。
ランエボは第四世代とされる「ランエボⅩ」まで改良・販売は続き、この10作目をもって2016年に生産を終了しています。
2021年のラリージャパンに期待
ここ数年の三菱自動車には厳しい風が吹いている状況で、2005年のWRC撤退に続きランエボの生産も中止。経営の立て直し真っ只中で、ましてやコロナ禍にある2020年の現在、どちらも復活の話は聞かれません。ラリーファンだけでなく、フツーのクルマ好きにも一抹の寂しさはあります。
引用:https://www.automesseweb.jp/
追い打ちをかけるように10年振りの復活予定であったWRC日本ラウンド、「ラリージャパン(11月開催)」が中止となってしまいました。今年は新型コロナの影響により、海外との往来が難しいためやむを得ないところはありますが、ぜひ来年こそは開催してもらいたいですね。
現在のラリーシーンは日本勢ならトヨタヤリスに注目が集まりますが、いつの日かランエボ11回目のエボリューションにも期待です!
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
以上、クルドラ的名車ヒストリー「三菱ランサーエボリューション(Ⅰ~Ⅲ系)」でした。
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