A70系トヨタスープラを振り返る=Look back over the A70=
最終更新日 2022/1/5
1986年。社会では男女雇用機会均等法が施行され、日本社会党で初の女性党首が誕生。エンタメでは14年続いた「太陽にほえろ」が最終回を迎え、ビートたけしがフライデー襲撃事件を起こした時代。
景気は正にバブルの入り口に立ち、これから51か月もの間”好景気“が続いていくことから自動車産業も活況を呈し、ヒト・モノ・カネといったリソースを惜しげもなく開発につぎ込んだ結果、時に名車が、時に迷車が続々と発売されました。
引用:https://gazoo.com/
今回のクルドラでは、名車ヒストリーの第二弾としてそんな時代に誕生したトヨタスープラのA70系をフォーカスします。ある意味もっともクルマが贅沢な競争を繰り広げていた時代、ライバルとの差別化を図り、今日に残るビッグネームの礎を築いたその足跡をご紹介していきます。
目次(タップで飛べます)
スープラの系譜を辿る
2019年初夏、4代目の生産終了からおよそ17年の時を経て、待望のスープラが国内市場にカムバックしました。
引用:https://carview.yahoo.co.jp/
BMW Z4と共同開発された5代目となる新型は、GRブランド初のオリジナルモデル「GRスープラ」として純粋なスポーツカーに生まれ変わりました。
スープラ復活のアナウンスが聞こえてきて以降、型式が「A90」にならんかなぁなどとイチ・クルマ好きとしては考えていたのですが、実車はその通りに登場!キッチリと4代目までとの連番になっていて「トヨタさん、わかってらっしゃる」と膝を打ちました。
4代目(A80)までのスープラは、徐々にスポーツ度を増してきましたが、基本は北米を主戦場とするスポーティな上級スペシャリティカーというセグメントに当たるクルマでした。
初代モデルは1978年に北米市場でのライバル車フェアレディZを追撃すべく、当時の4気筒セリカをベースにノーズを延長したデザインを与え、直列6気筒エンジンを搭載して誕生しました。
2代目はセリカをベースとしながらも、外観はロングノーズのリトラクタブルヘッドライトとなり上級モデルらしく差別化がされ、中身も初代ソアラのメカニズムを共用したことで、デジタルメーターなど当時の先進装備が与えられています。
セリカXXからスープラに転身したA70
そして本稿の主役となるA70型3代目スープラは1986年に発売となります。北米などグローバルでは初代、2代目ともに車名はスープラでしたが日本名は「セリカXX」。もちろんセリカの上位バージョンなので、ごもっともなネーミングでしたが、3代目からはFF車へと転身してしまったセリカのコンポーネンツから完全に独立し、2代目ソアラの兄弟車となるのに合わせ国内車名もスープラへ変更されました。
今年のヴィッツがヤリスへ転身したのと同じパターンですね。
引用:https://motor-fan.jp/
セリカXX(A60型)だった2代目までは、あくまで豪華なGTカーというキャラクターでしたが、スープラとして生まれ変わったA70型以降は、スポーツカーに近い高性能なスペシャリティクーペへと路線をシフトしていきます。
A70スープラってどんなクルマ?
エクステリアは、前身となったセリカXXをモダン化させたデザインが特徴的。当時流行していたリトラクタブルヘッドライトは継承され、ライバルのZと比べても存在感では負けないものでした。国内での発売当初は5ナンバーサイズ(全幅1690mm)のボディでしたが、狭い駐車場では苦労しそうな大きなドアに、あくまで北米市場向けのクルマであることが伺えました。
引用:https://www.artebellum.com/
CMのキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」とされ、往年の名車トヨタ2000GTをイメージさせるものでした。A70から2代目ソアラと共通のプラットフォームという成り立ちのため、エンジンもソアラ同様に2.0ℓ車は1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0ℓターボ車に7M-GTEUと今の目で見ると贅沢な4機種の6気筒エンジンが揃います。
エンジンの主役はツインターボ
エンジンのトピックとしては3.0GTターボが搭載する4バルブDOHCも、シングルターボながら大排気量がもたらす太いトルクは魅力でしたが、何と言ってもGTツインターボが搭載する新開発の1G-GTEUに注目は集まりました。先にマークⅡ系でデビューしていたユニットですが、A70に搭載するにあたりインタークーラーを空冷式に変更。最大トルクをアップさせたことで、軽い車重と合わせ3.0GTと互角の動力性能を発揮しました。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
直列6気筒4バルブDOHC+ツインターボ、と当時のスペックマニアには刺さる単語が並び、実車のドアサイドに貼られる「24VALVE TWIN TURBO」のステッカーには、筆者同様に痺れた方が多かったのでは。
エンジンだけでなく、サスペンションも従来のストラット・セミトレ式から4輪ダブルウィッシュボーン式に一新。また3.0GTターボには2段階自動切り替え式ダンパー「TEMS」も装備されました。
スペシャリティカー然としたインテリア
インテリアではインパネからセンターコンソールまでをつなぐ特徴的なL字型デザインを採用、未来感のあるデジタルメーターも選択できました。シートは電動調整式のパワーシートが備わり、本革仕様もオプションにて用意されます。
引用:http://autoinfo.jp/
外観に比べると、インテリアの雰囲気はあくまでスポーツカーと言うより、グランドツーリングカーあるいはスペシャリティカーとしてのキャラでしたね。ちなみに歴代スープラの中でA70は、もっとも車重のあるモデル(3.0GTターボ/AT車の1520kg)ということからもそれが伺えます。
オープン追加でラグジュアリー路線も充実
デビューの4か月後に「エアロトップ」が追加となりました。
前述のとおりスープラの主戦場はあくまでアメリカ。その北米市場ではスポーツタイプのクルマにオープンエアモデルは切り離せないジャンルです。ライバルのZもTバールーフを持っていましたし、当然A70にもオープン化が求められました。
引用:https://driver-box.yaesu-net.co.jp/
その解答がスチール製の脱着式ルーフにより、オープンエアドライブが楽しめるエアロトップの発売です。
スチールルーフの脱着式なので、屋根を閉じているときはノーマルモデルとの違いはなく、外観での差別化はほとんどありません。取り外したルーフは専用の固定ブラケットが備わるラゲッジスペースへ収納可能ですが、ひとつ難点とされたのがルーフの重量です。スチール製なので約10kgもあり、しかも脱着には付属のラチェットを使って4カ所の太いボルトを外す方式なため、男性でも一人だとチト大変だったとか。
まぁそのおかげでルーフを付けた通常時にはボディ剛性の低下が抑制され、オープンモデルでも走りの質感を妨げないトヨタの仕事は評価すべきでしょう。
引用:https://gazoo.com/
これがオリジナルA70!ワイドボディ導入
1987年の1月にはA70初の3ナンバーワイドボディを持つ新グレード「3.0GTターボリミテッド」が追加になります。
これはフェンダーパネルとリヤクォーターパネルを大型化したワイドボディを採用するのが特徴で、新開発5速MTや新形状アルミホイールも与えられました。
引用:https://www.topspeed.com/
もともとこのワイドボディが北米市場で販売されているA70のオリジナルであり、国内向けには当時の自動車税対策として、5ナンバーの小型乗用車枠に収まるナローボディが造り分けされていました。
それまでは3ナンバーのクルマは贅沢品と見なされ、8万円以上の高額な自動車税が掛かっていましたが、アメリカなどからの外圧もあって89年からは現在の排気量別の自動車税へと切り替わります。今回のターボリミテッドの追加はそれを見越しての動きでしょうし、この後A70は税の変更もあり、ワイドボディが販売の主流へと変わっていきます。
マイナーチェンジで大幅リニューアル
A70初のマイナーチェンジは88年8月に実施されました。
引用:https://autoc-one.jp/
エクステリアはフロントバンパーの変更、新デザインのリヤコンビランプ採用、大型リヤスポイラー装備など大幅にリニューアルされました。
引用:https://www.wikiwand.com/
またターボリミテッドだけであった北米仕様のワイドボディが、3.0ℓ 直6ターボ全車に与えられた他、ターボ車はハイオク(無鉛プレミアム)仕様になり、各種エンジンの性能も向上。また2.0ℓの1G-FEエンジンも新設定されます。
5MTか4AT、ノーマルルーフかエアロトップ、5ナンバーボディかワイドボディ、これに4種類のエンジンが組み合わされ、さすがバブル時代と言いますか今日では考えにくい、3ドアクーペで6グレード全30種もの選択ができる展開となりました。ちなみに現在販売されている5代目GRスープラ(A90)は、わずか3グレード3種となっています。
レース用ホモロゲーションモデル発売
鈴鹿初開催のF1日本GPなど、バブル景気に乗ってサーキットで開催される各種レースも盛況で、中でも1980年代半ばから1990年代初頭にかけて人気を集めたのが、全日本ツーリングカー選手権「グループA」です。
このカテゴリーはベースマシン(A70で言えば3.0GTターボのこと)にチューニングを施したバージョンをレースカーとして参戦する方式で、規定によりベースマシン同様のバージョンが500台以上生産されている必要があります。そこで88年の夏、トヨタはA70のマイチェンに合わせホモロゲーションモデルとして、スープラ3.0GTターボAを500台限定で市販し公認取得しました。
ターボAはコンプレッサーやタービン容量の拡大などにより、最高出力はベースエンジンから30馬力アップの270psとなり、当時ブッチぎりで国内最強のパワーを実現、ライバルと目される日産スカイラインGTS-Rの210psを凌駕しました。
引用:https://minkara.carview.co.jp/
スプリングやダンパー減衰力の変更、前後スタビライザー径の拡大などにより、足まわりも強化される一方、エアロパーツなど外観の変更は殆どなく、フロントバンパーに追加されたエアインテークと黒塗装のアルミが付く程度です。
ボディカラーはブラックのみで、当時405万円という高額モデルにも関わらず、金に糸目を付けぬバブル景気下では、アッという間に完売してしまいました。
A70史上最強のスポーツモデル誕生
マイチェンの一年後には3.0ℓ 直6ターボ車にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様「3.0GTターボS」を追加したり、2.0GTツインターボにワイドボディが追加されたりと販促の手が加わりましたが、その翌1990年の8月にA70系は最後のマイナーチェンジを受けます。
引用:https://www.webcartop.jp/
最大のトピックは従来のトップユニット3.0ℓターボ「7M-GTE」に代えて、新世代の2.5ℓ 直6ツインターボ「1JZ-GTE」搭載車が設定されたことでしょう。排気量が1988ccから2491ccに拡大し、セラミック製タービンが採用され小型軽量化した結果、最高出力は3.0ℓターボ超えの280psを発揮。5速MTとの組み合わせでは、トヨタ初の280psモデルとなりました。
タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能も大幅に引き上がり、グレード名称も2.5GTツインターボに改称されました。但し、2.5ℓモデルは国内専用で、北米や欧州では従来の3.0ℓターボ、7M-GTEが継続されます。
細かいところでは、ボンネット先端のスープラエンブレムが89年に発表された初代セルシオから採用されている新トヨタCIマークに変更されました。
一流パーツで武装された最強カタログモデル
90年、最後のマイナーチェンジでトップユニットとなった2.5ℓ 直6ツインターボ搭載の、その頂点に立つグレードが2.5GTツインターボRです。
1JZ-GTEエンジンのハイスペックを最大限に活かすべく、足回りにビルシュタイン社製のショックアブソーバーを奢り、路面追従性が大幅にアップして操縦安定性も向上しました。
シートはこれまでの豪華系シートから、スポーツ走行にも対応できるレカロ社製のバケットタイプシートに換装、イタリアMOMO社製のステアリングホイールおよびシフトノブ、さらにトルセンLSDまで装着され、このマシンが本来持っているスポーツカーとしてのポテンシャルを、最大限に引き出したスパルタンなグレードです。
これが特別仕様車ではなく、通常のカタログモデルとして用意されるところに、本来ゴージャスなGTクーペであったスープラがリアルスポーツとして進化を遂げていることが伺えます。
サーキットに挑んだA70スープラ
引用:https://www.sun-a.com/magazine/
本稿でも何度か触れたA70の出自は、スポーツカーではなくGTカー、スペシャリティカーですが、意外にもレース参戦はセリカXX(A60)の時代から始まっています。しかし戦績としてはやはり、重く長い直列6気筒エンジンはモータースポーツにおいて有利とは言えず苦戦の歴史でした。
しかし86年登場のA70からは車両ベースが根本から変わり、3.0ℓターボモデルを頂点とするマシンへと変貌。87年の全日本ツーリングカー選手権第4戦に初参戦すると、いきなりデビューウィンを飾りました。ところが翌年にはレギュレーションが変更され、A70の属するクラスは重量面で不利な状況に追い込まれます。
引用:https://minkara.carview.co.jp/
すぐさまトヨタは前項にあるスープラ・ターボAでホモロゲを取得し、そのターボAベースのレーシングカーを開発。レースへ投入しました。2位表彰台の獲得などありましたが、日産が最終ウェポンとも呼べる2.6ℓツインターボ4WDのR32スカイラインGT-Rで参戦するに至り、ヘビーウェイトのA70では太刀打ちできず、一旦、全日本ツーリングカー選手権から姿を消すことになりました。
スープラが雪辱を果たすのは、97年の全日本GT選手権にて次期型A80がチャンピオンを獲得するまで待つことになります。
短期間ながらラリーでも存在感を発揮
サーキットでのツーリングカー選手権だけでなく、世界ラリー選手権(WRC)の舞台にもA70は挑みました。87年からWRC規定がグループBからグループAへ移行したため、トヨタはスープラ3.0iでラリー活動に臨んだのです。
引用:https://nosweb.jp/
もっとも翌年には4WDターボのセリカGT-FOURが投入されることは決まっていたため、A70の出番は87年および89年までのサファリラリーのみと限定した期間の出場に止まりました。87年のデビュー戦で3位入賞を果たすも、直6の2WDでは厳しい場面が目立ち、WRCではその後に結果を残せませんでしたが、9月に開催された香港・北京ラリーでは優勝するなど短命でしたが存在感を発揮しました。
A70を後世に残すプロジェクトも始動
2020年の1月、トヨタは”GRヘリテージパーツプロジェクト”として、1986〜1993年に販売されたA70型スープラ、および1993〜2002年に販売されたA80型スープラの補給部品を復刻し、再販売すると発表しました。
引用:https://toyotagazooracing.com/
品番や発売時期などの詳細は今後TOYOTA Gazoo Racingの公式ウェブサイトで公開されるそうです。
このプロジェクトは、これまで長きにわたりスープラを愛用してきたオーナーが、これからも乗り続けられるよう、既に廃版となってしまった補給部品を復刻・再生産し、純正部品として再販売する取り組みです。
最近ではマツダも初代ロードスターのフルレストアをメーカーとして受注するサービスを始めています。こうした動きはクルマが単なる耐久消費財ではない、独自の価値を生んでいくプロダクトであることの裏付けでしょう。
引用:https://topgear.com.my/
今回ご紹介したA70スープラにも多くのファンがあり、もはや30年以上前のクルマではありますが、もう戻ることはできないその残した足跡も含めてA70。メーカーもそこは熟知しての先のプロジェクトなのでしょう。二度とはないであろう熱い時代の証明として今後も語り継がれていくクルマだと思います。
以上、クルドラ的名車ヒストリー「A70系トヨタスープラ」でした。
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