クルドラ

Z31系フェアレディZを振り返る=Look back over the Z31=

日産フェアレディZ。言わずと知れた日本を代表するスポーツカーでありスペシャリティカーです。その初代モデル登場は1969年まで遡りますが、さらにルーツを辿れば1952年ダットサンスポーツDC-3にまで行きつく”日本スポーツカーの祖”とも言えるモデルです。

もちろんグローバルでの評価も高く、販売の中心である北米では「Zカー」として長年親しまれてきました。50年以上に渡る歴史の中では、オイルショックバブル崩壊など様々スポーツカーに厳しい時代はありましたが、それらをくぐり抜けて令和の今日まで現役モデルとして販売が継続しているのは、ジャパニーズスポーツカーオリジンとしての面目躍如です。

今回のクルドラでは、名車ヒストリーとしてフェアレディZ3代目にあたる”Z31についてその歴史を振り返ります。

絶大な人気を誇る初代S30と、いまだにファンの多い4代目Z32中間にあたるZ31(2代目S130も含め)は、いろいろな意味で過渡期的なモデルのイメージを持たれやすいですが、果たしてどのような歩みであったのか、その足跡魅力をご紹介していきます。

フェアレディZのあゆみ

日産スポーツ2枚看板と言えば、スカイラインZ異論はないでしょう。

引用:https://cartune.me/

両車ともに歴史と伝統があり、現在でもその車名を残し販売が続いている点は共通。男臭い(?)キングスカイライン車名からしてものクィーンZ。片やセダンベースのルックながらレースにおいてを成したモデル2by2スペシャリティな普段使いできるスポーツモデル。正に両輪として日産スポーツアイデンティティを築いてきました。

今回の主役である3代目Z31を含むフェアレディZモデルヒストリーは以下の通りです。

初代S30高性能でクールなデザイン、そして欧州スポーツカーに比べ低価格であることが受け、北米を中心に大ヒット。その実績はおよそ10年にも及び、”NISSAN”の名を世界に知らしめた立役者になったのです。2代目S130初代正常進化版ですが、第一次と第二次のオイルショックの間に誕生し、排ガス規制衝突安全規制などに翻弄され”スポーツカー冬の時代”を過ごしました。

そして83年に登場したZ31は、日本初3000ccV6エンジンを搭載し”Z再興”への役割を託されたのです。

三代目Z31型ってどんなクルマ?

前項の通り2代目S130は各種規制対応に追われ、もはやスポーツカーと呼ぶには苦しいスペックとなり、カタログ等にも「スポーティカー」として表現されるようになっていました。

3代目Z31へのモデルチェンジにあたり日産は、再びスポーツカーの称号に資することを目指し、ボディパワートレインシャシーさらにイメージリーダーにふさわしい先進的な装備を惜しみなく投入しました。

キープコンセプトながら”目元”でイメチェン

ロングノーズショートデッキというZの伝統的コンセプトは引き継ぎながら、当時トレンドになりつつあったCd値、いわゆる空力性能重視されたのがポイント。ボディタイプ先代S130系と同様にホイールベースの違う2シーター2by2を用意します。

特徴的なのはヘッドライトで、空力特性を高めるためリトラクタブル式となりましたが、通常の形式とは異なり、ライトを閉じた状態でも「半目」のようにレンズの一部が露出するデザインに。

引用:http://motorfan-newmodel.com/

パラレルライジングヘッドライトと呼ばれ、確かに好き嫌いが分かれそうなデザインですが、Z31らしい個性となりました。“”が違うため先代とは別物の第一印象ですが、全体のフォルムフロント以外のディテールをよく見れば、2代併せて「世界一売れたスポーツカー」の正常進化版なのが分かります。

国産NO.1パワーユニットを搭載!

トピックは心臓部で従来の直6刷新、”PLAZMAエンジン”と称するV6SOHCターボ3.0ℓ2.0ℓともに搭載しました。


中でも3.0ℓVG30ET型エンジン230PSの大パワーを誇り、トヨタスープラに搭載される7M-GTEUエンジンが出るまでは当時の国内最高出力でした。海外向けモデルでは、最高速度250km/hに達しています。

パワーユニットだけでなく、足回り世界初となる3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーを投入。今で言う「可変式ダンパー」のことですが、ソフト/ミディアム/ハード3種類のセッティングが選べました。

多連メーターはZインテリアのアイコン

スポーツカー然としていたインテリア3代目まで来ると多少薄れ、相対する形でGTカースペシャリティカーらしいゴージャス感表現されるようになりました。ステアリングから指が届く範囲にスイッチ類を配置する「クラスター型」のサイドメーターナセルに当時のトレンドも見て取れます。

薄れたと言っても初代から2代目にかけて継承されたインパネ中央に多連メーターを配するデザインZ31にも残り、Z32で一旦消えるものの、再デビューとなった2002年5代目Z33型からは復活。以降”Zアイコン”の一つとして現行モデルZ34まで続くことになります。

その他にもラック&ピニオン式ステアリング8ウェイパワーシート雨滴感知識オートワイパーオートエアコン高性能オーディオなど現在まで続くラグジュアリー上級装備もこの年代から投入が進み、スポーツカーでありながら高級装備Zのウリとなりました。

引用:https://nes-autogallery.jp/

背景には当時の急激な円高によって、海外輸出車価格上昇は不可避であったため、価格に見合った豪華装備エンジン(北米では直6よりV6が上級扱い)を備えるハイスペックスポーツカーへ、Zのキャラクターを切り替える必要もあったのです。

国産唯一のTバールーフモデルを追加

84年にはフルオープン同等解放感乗降性の良さから、海外では人気TバールーフモデルS130に続きZ31でも国内ラインナップしました。

引用:https://web.motormagazine.co.jp/

主戦場となる北米では、スポーツカーオープンは切っても切れない関係性があり、Zも元を正せば「ダットサンスポーツ」という4座オープンモデルの出自を持ちます。

2代目S130からTバールーフを設定していただけあり、Z31にも一日の長を生かしてオープン走行中の風の巻き込み低減するスプリング可動の自立式エアディフレクターを備えます。また、ハッチルーフにはスモークドガラス脱着式サンシェードを採用し、必要に応じ普通のサンルーフのような使用も可能としました。

その後もフェアレディZ4代目Z32から令和の現行型となる6代目Z34まで、コンバーチブルロードスターと呼ばれるオープンモデルラインナップが続きます。(残念ながら現行型Z34のロードスターは生産終了)

引用:https://www.carsensor.net/

前代未聞の直6V6の共存

85年10月に新たに200ZRグレードが投入され、このモデルには心臓部直列6気筒24バルブDOHCエンジンセラミックターボが奢られました。

スカイラインの直6を得て2.0ℓもパワフルに

前項の通りZではZ31に切り替わった際、直6を捨てV6へ舵を切ったわけですが、ここにきて突然の直6復活となったわけです。当時すでに直6スカイラインZV6という図式が出来上がっていただけに、直6復活違和感を覚えたものです。

以下2枚引用:https://nosweb.jp/

真偽は定かではありませんが、当時の日産社内にはスポーツカーパワートレインとして直6派V6派で意見が分かれるところもあり、日産を代表するスポーツカー直6は必要というも大きかったそうです(旧プリンス系スカイライン・シンパの声?)。

そんなことでZ312.0ℓは豪勢に2種6気筒エンジン用意することになり、合理化最優先現在では考えにくいことですが、当時バブルの入り口に立った日本ではイケイケな風潮もあったようです。しかし後から考えるとこの辺りから日産の迷走が始まったようにも映ります。

そもそも同じカテゴリーに、ほとんどメカニズム的な関連のないスカイラインGT-RZ専用設計となる2台スポーツカーを擁していること自体バブリーでしたね。(現行のスカイラインとZは共有のプラットフォーム)

世界初のセラミック製ターボを装着

Z31に搭載されたRB20DETエンジンは、ターボチャージャーセラミックターボへ変更。最高出力は2.0ℓV6ターボ10PS上回る180PSを発揮します。但し、このタイミングでエンジン出力グロス表示からネット表示に変わっていますので、換算すれば30PS近いパワーアップです。

セラミック製ターボはこれが世界初となり、日産は”セラミック・レスポンス“というキャッチコピーでアピールしました。セラミックターボは低回転、低負荷時からタービンが敏感にレスポンスすることが特徴で、これまでターボ弱点だった”ターボラグ“の減少を実現します。

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このエンジンはもともとR31系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラー上置き形に変更されたため、ボンネット中央大型エアインテークが設けられました。

引用:http://messiah208.cocolog-nifty.com/

当時のホンダDOHC車にそれを示すパワーバルジがあったのと同様、従来の2.0ℓ車にはなかった大き目のインテークに誇らしげなユーザーも多かったです。

エンジン以外にも専用のスポーツシートアルミホイールサスペンション強化LSDが奢られ、グレードはノーマルルーフの”200ZR-I“とTバールーフの”200ZR-II“の2種類が用意されました。

先代からの完全脱却!エアロフォルムに大変身

Z31マイナーチェンジは当時のセオリーからすると、やや遅めの86年10月に行われました。

引用:https://motor-fan.jp/

外観はそのスタイルを本格的スポーツカーに寄せて力強さ風格を備え、一目で良好な空力を感じさせる”エアログラマラスフォルム”へと一新。Z31印象が大きく変わりました。

従来の300ZX全幅1725mm3ナンバーでしたが、それはサイドプロテクター厚みで寸法を稼いでいたもので、ボディ自体5ナンバーと共通。マイチェンモデル前後フェンダーの形状により3ナンバー専用エアロフォルムを構築しています。

新世代デザインフィロソフィーの確立

マイチェン時デザイン北米のNDI(日産デザインインターナショナル)が担当し、キャビン部左右ドアパネル以外は全て意匠変更しています。但し、2.0ℓモデル5ナンバー維持のためフロントリアフェンダーは変更なしです。

当時学生の筆者はその変貌ぶりにフルモデルチェンジしたと思い込むほどでしたが、このマイチェンモデル前モデルを比べると自動車におけるエクステリアデザイン端境期を見るようです。

マイチェン後はこれまでの突起物感アリアリの別体バンパーが、フロント造形一部に組み込まれ、現在に通ずるフロントマスクへとつながったように見えます。

リヤコンビネーションランプ横一文字タイプも、正確に調べたわけではないですがこのZ31初出に見えるくらいに斬新でした。

引用:https://nosweb.jp/

ほとんど同時期に国内海外を問わずライバル車であったスープラ(A70系)も、北米ワイドボディを国内に新規投入していますが、やはり3ナンバーワイドボディ5ナンバーナローボディを比べるとどちらが”自然”かは一目瞭然です。もちろん国内自動車税の税制により5ナンバーの需要があるのは承知していますが、Z31の新しいワイドボディを見るにつけ、全幅の制約がいかにデザイン上の障壁であったのかが伺えます。

ちなみに次期型Z32のときは、自動車税排気量別に変わっていたため、全幅1700mmがなくなったことでベストプロポーションZと評されています。

3.0ℓV6DOHC搭載の300ZR誕生

マイチェンではエクステリアの大変身に止まらず、パワーユニットにも再びメスが入ります。新グレード300ZRが誕生し、その心臓部にはVG30型ユニットDOHC化して搭載、新開発した5速MTと熟成したサスペンションにより新たなフラッグシップとなります。

ターボに依らないリニアなNAの出力特性は、純粋に走りを追求したいと思うドライバーから歓迎されました。

引用:https://option.tokyo/

従来の3.0ℓV6SOHCターボ300ZXも継続され、カタログ数値の絶対値は300ZRを上回りますが、このマイチェンATのみの設定になるなど、ZRに比べラグジュアリーな役回りを請け負うことになりました。

2.0ℓモデルは案の定、V6エンジンはカタログ落ちして直6RB20DETセラミックターボ200ZRに絞られます。同一モデル、同一排気量でV6ターボ直6ターボ共存する過去あまり例のなかった構図1年終了になりました。

Z31最後の仕上げは走行機能向上

88年6月Z31最後の小変更が行われました。

引用:https://topics.smt.docomo.ne.jp/

その内容は2点で、まず偏平率50%ワイド&ロープロファイルタイヤ3.0ℓモデルオプション設定タイヤサイズ225/50R16となり、足回り新時代へ入りました。今や普通の大衆車や軽自動車でも、かつてのスポーツカー同等薄っぺらいタイヤを履く時代となりましたが、その潮流もこの頃からスタートしたのです。

もう一つの変更は、後輪左右回転差に応じて駆動力を最適かつスムーズに自動調整するリヤビスカスLSDが、こちらもオプション装着できるようになりました。LSDの方は2.0ℓモデルでも選択できました。

引用:https://minkara.carview.co.jp/userid/3194714/

タイヤ駆動系を充実させたことで、Z31完成の粋を迎えました。

2代目S130排ガス規制オイルショックなどで不遇な時代を過ごした分、その負のイメージを払拭して80年代、ある種黄金期を迎える日本車の、もちろんZ露払いとして重要な使命を担ったZ31は、十分以上にその役割を果たしたと言えるでしょう。

次々に投入された新技術の数々は国産車を一つ上のステージへ引き上げ、特に後期型3.0ℓエアロボディ新時代のエクステリア在り方を示したモデルではなかったでしょうか。

モータースポーツにおけるZ31

引用:https://www.sun-a.com/magazine/

初代ZS30がデビューした当初は、日本でもレースシーン黎明期にあたり、わりと単純にスポーツカー=レースカー的な図式もあったようで、S30の開発目標にも「レースラリーで勝てること」がしっかりと明記されていました。初代Z432240Zはその目標を達成し、いくつものサーキットラリーフィールド勝利を重ねました。特に240Zラリー仕様はタミヤのプラモデルにもなっていて、印象深いものがあります。

2代目S130からはレースの主体が北米のIMSAに移り、4代目Z32の代まで継続参戦しています。従ってZ31国内レースに登場することはなかったため、S30同様ラリーシーンでの活躍が思い浮かびます。

引用:http://algercg.cocolog-nifty.com/

3.0ℓV6SOHCターボ搭載の300ZXラリー仕様は、85年(昭和60年)全日本ラリー選手権第3戦からの途中参戦にもかかわらず、安定した戦績と第6、7戦での連続優勝でポイントを重ね、ハイパワーターボカーがひしめく同年シリーズチャンピオンに輝きました。

Z31デビューした83年グループCカテゴリーのレースに”フェアレディZ”を名乗るレースカーが登場します。このモデル日産の支援を受けたセントラル20チームが開発した純粋なレーシングカーでしたが、「日産フェアレディZCコカコーラ」の名称エントリーしていました。

引用:http://dahedahe.cocolog-nifty.com/

そのためかCカールックスにムリクリ貼り付けたようなZ31テールライト(前期型)がシュールでしたね。

Zは続くよどこまでも

今年5月日産の「2020-2023年度事業構造改革」発表記者会見のエンディングに放映された動画NISSAN NEXT: From A to Z」の中に新型フェアレディZシルエットがチラ見せされています。現在もYoutubeで見ることができますが、これにより消滅の噂も絶えなかったZに「」があることが判明しました。

お世辞にも業績良好とは言えない今の日産にあっては、負のイメージを払拭する役割を担えるのは人気のSUVではなく、伝統のZであることは誰しも考えること。

引用:https://carsmeet.jp/

既に前例はあり、1999年ゴーンさんが窮地に立った日産リバイバルプランなる構造改革を行い、目途が立った2001年米デトロイトショーで「日産カムバック」と怪気炎を上げた際にネタとして使われたのが”Z復活”(5代目Z33のこと)でした。この構図は、S130挽回を任されたZ31の姿にも重なります。

次期Zフルモデルチェンジなのか現行型Z34ビッグマイナーなのか定かではありませんが、伝統あるブランドらしいモデルになることを期待しましょう。

スカ〇ラインの二の舞いにならないで・・・とは言いませんが。

以上、クルドラ的名車ヒストリーZ31系フェアレディZ」でした。

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