RX-7の偉大な中継ぎFC系を振り返る=Look back over the FC=
最終更新日 2021/10/9
かつて少年ジャンプに連載されていた漫画「サーキットの狼」が大ヒットし、世に言うスーパーカーブームが日本を席捲した時期がありました。1970年代の話しですが、フェラーリやカウンタックといったクルマに子供から大人まで(まぁ大概は男性)夢中になっていた、そんな時代にマツダから発売となったのが初代RX-7です。
クルマの性能云々よりもまず、リトラクタブルヘッドライトだったことが強烈なインパクトを放ちました。リトラは当時スポーツカーを象徴するアイコンと言ってもよく、自動車愛好家の羨望の的でした。マツダ宝刀のロータリーエンジンの実力もあって、RX-7はすぐに国産車を代表するスポーツカーとして認知されていきます。
引用:https://genroq.jp/
紆余曲折あり、現在マツダでは市販のロータリーエンジン車はなくなっていますが、レースでの戦績や歴代ロータリー搭載車の強烈な個性もあり、どことなくロータリーに神格化したイメージを抱くクルママニアは多いことでしょう。
今回のクルドラでは、名車ヒストリーとして2代目サバンナRX-7を取り上げます。
少々旧いモデルながら、最近でも漫画やアニメの「頭文字D」で主人公のライバル車として活躍していましたから、若い方にも知名度は高いモデルです。通称「FC」と呼ばれる2代目”セブン”の歴史を振り返ります。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
目次(タップで飛べます)
RX-7ミニヒストリー
マツダのロータリーエンジン市販車はコスモ、ファミリア、ルーチェ、カペラ、サバンナ(RX-3)と続き、それらはいずれもレシプロエンジン仕様もに併売となっていました。ロータリー専用車となるRX-7をスポーツカーに仕立てることで、マツダはロータリーエンジンの生きる道筋を立てました。
3代目FD型の後はRX-8に代替わりしましたので、”セブン“の歴史は以下の通り三代24年間ということになります。
ロータリーの復権を託されたSA誕生
冒頭の通り初代サバンナRX-7(SA22C型)が登場したのは1978年、昭和53年の3月でした。初代のトピックは何と言ってもそのデザインでしょう。コスモスポーツ以来となるロータリー専用車となるため、コンパクトなエンジンサイズを活かした低いボンネットと全高。さらに前述のリトラクタブルヘッドライトも相まって、空力特性に優れた美しいスタイルに”国産スーパーカー”的な見方もされ注目が集まりました。
引用:https://www.webcartop.jp/
一方、ロータリーの宿命とも言える燃費の悪さは、第2次オイルショックのタイミングと被ってしまったこともあり、省エネ性能向上は毎年の課題としてマイチェン時に手が加えられることになります。
結果的には78年から7年半に渡り生産が続けられた初代モデルは、日本はもとよりアメリカでも確固たる地位を築き、ロータリーエンジンの高いポテンシャルを世に周知させ、マツダの新しいスポーツカーブランドを確立することに成功しました。
大人のためのピュアスポーツカー目指すFC
85年10月には初のフルモデルチェンジが実施され、サバンナRX-7は本稿の主役2代目の”FC3S型”へと生まれ変わります(以下FC)。
健闘した初代に続く2代目に求められたのは、マツダスポーツの名声を高めつつ、さらに純粋なスポーツカーとして進化を遂げることでした。開発に当たり「スポーツカーとは何か?」という基本テーマを、ゼロベースで考えまとめていく方針となり、社内に”スポーツカー研究会”を立ち上げて”自動車の歴史“を振り返りながら、FCとしての計画原案が固められました。
さらにスポーツカー然としたルックに
パッケージング的には初代を踏襲し、2ローターのロータリーエンジンをフロントミッドシップに搭載する2+2クーペ。コンパクトなキャビンにロングノーズのスポーツカーらしいデザインは不変です。FCはとてもグラマラスに映るルックスですが、ボディサイズはきっちりと、初代同様に5ナンバー枠をキープしていました。
但し、各部のディテールはかなり変化していて、フロントは大型バンパーとボディを一体化させ、ボディサイドは空力に効くふくよかなブリスターフェンダーに。プレスドアを採用し、クォーターウィンドーとCピラーもなくすことで徹底したフラッシュサーフェスを実現しています。その結果Cd値は0.32とスポーツカーらしいレベルに達しました。
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排気量アップの次世代ロータリー搭載
ロータリーエンジンは初代で熟成が進んだ12A型から13B型へと変更。12Aの573cc×2ローターから654cc×2ローターへと排気量を拡大し、ツインスクロールターボと空冷インタークーラーを備えた最高出力は185PSに達し、12Aターボに比べて20PSのパワーアップとなりました。
ちなみに当時は、排気量区分による5ナンバー規格がまだまだ優遇されていました。ロータリーの排気量は1.5倍換算されるため、ギリギリ2000ccを超えないよう1ローターあたりが654ccに設定されたようです。
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パワーに見合う充実した足回り装備
足回りは初代の4リンクのリジッド式から新開発のトーコントロールハブ付マルチリンクサスに進化。特殊な構造のハブにより、4輪操舵(4WS)を実現。4WSのための制御や可動させるための機構は一切なく、荷重が入って初めて動くメカニカルなトーコントロール制御で、当時は「ナチュラル4WS」とか「4WS感覚」とか言われていましたっけ。言い得て妙です。
また、全車に4輪ベンチレーテッドディスクブレーキと15インチタイヤが標準装備されました。ブレーキは全グレードに4ポッドキャリパーを奢り、フロントのアルミ対向4ポッドキャリパーは当時の国産車で初採用でした。
引用:https://news.livedoor.com/
無限大の魅力を秘めた2シーターの特別仕様車
初代が発売当初のイメージからややスペシャリティカー寄りなクルマだったこともあり、FCにはもっとピュアなスポーツカー像が求められました。そこで発売となったのが特別仕様車∞アンフィニです。
フランス語で無限大の意味を持つ∞アンフィニは、FCの”走りの質感”に徹底的にこだわった1台です。全国限定300台でしたが、後にこの「∞アンフィニ」モデルはおよそ年に1回、若干の仕様変更を加えつつ定期的に発売される特別仕様車になります。
86年8月に発売となった記念すべきアンフィニⅠ(第一弾モデル)の内容は以下の通りです。
引用:https://web.motormagazine.co.jp/
∞アンフィニの一番の特徴は、2シーター車となったことでしょう。世界初の量産ロータリーエンジン車である”コスモスポーツ”以来の2シーター車となり、とかく2+2が定番のクーペモデルにあって、FCは純粋な”スポーツカー”であることをアピールします。
アルミ製ボンネットや専用のエアロキットに加え、MOMO社のステアリングやBBS社製軽量アルミホイールの装着等は、後にいすゞジェミニやスバルレガシィなど他社でも展開していく定番カスタムになっていきます。
FCのモデルサイクルの中では、「∞アンフィニ」モデルは都合8回販売されています。
後期型では標準車のパワーアップに合わせ、高圧縮比&ハイオク仕様とすることで∞アンフィニのエンジンは215PS/28.0kgmを実現しました。
FCの個性が光る歴代唯一オープンモデル
2代目セブンことFCのキャッチコピーは「New Adult Sports」、つまり大人のスポーツカーであるということでした。広告などにもズバリと「スポーツカーは若者だけの車ではない」と言い切っていましたからね。実際、FCは初代モデルに比べると価格もワンランク上のクラスになっていましたので、おのずと購買ターゲット層が伺えました。
引用:https://www.motortrend.com/
そんな大人のスポーツカーと来れば当然、あるべきラインナップとして”オープンカー”は求められるもの。また、FCの主戦場となるアメリカ市場では”スポーツカー”=”オープン”位の見方もあり、フェアレディZやスープラといったライバルは既にオープンエアグレードを持っていたので、RX-7にもようやくの登場となったわけです。
ロータリー20周年に追加されたカブリオレ
1970年にダットサンフェアレディ2000の生産が中止されて以来、国内市場では17年振りの2シーターオープン復活となり、さらに発売された87年はマツダロータリーエンジン発売20周年にも当たり、カブリオレ(FS3C型)はその記念モデルとして位置づけられました。
引用:https://minkara.carview.co.jp/
カブリオレの特徴は、∞アンフィニと同じ2シーターで独立したトランクルームを持つこと。またオープン時に風の巻き込みを抑える可倒式エアロボードも備えます。ハイマウントストップランプが付くのも、89年のマイナー前だとカブリオレだけでした。
インテリアはオープンドライブを想定して、シートやステアリング等には撥水加工を施した本革を採用、ソフトトップの車内側にも内張りを用意するなど高い質感を誇ります。
タルガも可能な3通りのルーフスタイル
トピックとなるルーフは頭上の屋根に当たる箇所が、樹脂素材で造られたハードトップ。その後方、ガラス製のリアウィンド周辺はソフトトップの2ピース構造となっていたので、ハードトップのみを取り外し”タルガトップ”スタイルを楽しむことも可能でした。
引用:https://mindovermotor.com/
オープンの開閉方式は一応電動トップ。一応というのは車内からスイッチ操作でルーフは開くのですが、最後にルーフのハードトップ部をソフトトップから外して収納、幌カバーを掛ける動作は手作業となるからです。マツダが後にロードスターを開発する際、このカブリオレの生産経験が相当に生きたことは想像に難くありません。
カブリオレはFC発売2年後に登場し、その後もカタログモデルとして販売が継続していきますが、91年10月にメインのFCが3代目”FD”へとモデルチェンジした後も、一年間近く生産が継続されました。FDにはカブリオレの設定がなく、初代RX-7から数えて三代24年に渡る車歴の中で、唯一のオープンモデルがこのFCカブリオレだったのです。
引用:https://nosweb.jp/
マイナーチェンジでFCは完成の域へ
日本だけでなくメイン市場となる北米でも販売No.1に輝いたFCですが、その地位を盤石なものとすべく89年3月には初の大規模なマイナーチェンジを実施します。
エクステリアはクリーンでモダンに
エクステリアはさらに質感が上がるよう各部ディテールが見直されましたが、まず目を引くのがボディ外周を走るプロテクターモール。従来は黒の樹脂製でしたが、マイナー後はボディカラー同色となりスッキリとした外観に。この変更はドアミラーにも適用されています。
引用:http://www.blue-auto.com/
また、リアコンビネーションランプのデザインも角型から丸型の3灯式になり、印象が変わりました。それ以外にもアルミホイールやリアスポイラーのデザインが新しいものに切り替わっています。
インテリアでは内装色が黒基調に変わって、よりスポーティな印象のコクピットとなり、併せてシフトノブ、インパネセンター、計器類のデザイン等も変更されました。
熟成の13B型エンジンはついに200PS超え
しかし何と言ってもマイチェンの目玉はエンジンのパワーアップでしょう。
引用:https://gazoo.com/
13B型ロータリーエンジンは、完全独立型のツインスクロールターボを装着し、圧縮比もアップ。その結果、動力性能はマイナー前よりも出力で20PS、トルクで2.5kgmの向上となり、その他にもターボチャージャーの過給制御の電子化やローターおよびフライホイールの軽量化、∞アンフィニに採用していた高性能ダンパーの採用など走行機能全般が大きく引き上げられました。
5速マニュアル車は変速レバーを15mm短縮し、変速機内部の改善とクラッチ慣性低減も行いメリハリの効いたシフト感覚を実現。一方の4速オートマチック車もホールドモードが付き、峠道やワインディングを楽しめるように改良されています。
引用:http://www.stancenation.com/
ル・マン24時間レースを制したロータリー
F1モナコグランプリおよびインディ500と並んで「世界三大レース」と呼ばれている耐久レースが、ル・マン24時間レースです。もともと日本でも知名度の高いレースだったと思いますが、直近では2018年にトヨタが優勝したことで再び注目が集まりました。
そしてクルマ好きには今さら言うまでもなく、日本車で”初優勝”したのが1991年のマツダ787Bでした。レナウンのスポンサードを受けた緑とオレンジの車体は、30年近く経ってもファンの脳裏に鮮明に記憶されていることでしょう。
引用:https://driver-box.yaesu-net.co.jp/
何よりドラマチックであったのは、90年のル・マンで惨敗したマツダにとって、レギュレーション変更によりロータリーエンジンで参戦できる最後のチャンスとなったのが91年のル・マンでした。
もう次がない状態のマツダにとっては正に”背水の陣”で臨んだ一戦に、787Bは、ロータリーエンジンは奇跡を起こしたのです。バブル真っ最中といった時期でもあり、当時まだ学生の1モータースポーツファンであった筆者も相当に浮かれていた記憶が・・・
マツダからはそのル・マン優勝を記念して、FCの特別仕様車が発売となりました。
その名もズバリ「ウィニングリミテッド」。当時のボトムグレード”GT-R”をベースとして、フロントとサイドのエアダムスカート、リアスポイラー、MOMO製ステアリング、BBS製アルミホイール、16インチタイヤ等を装備。早い話しが上位グレードに標準となっているパーツを組み込んだお買い得モデルといった感じでしたが、個人的には「55」(787Bのゼッケン番号)をモチーフにしたエンブレム位付けてほしかったですね。
FDへのバトンタッチ
2代目サバンナRX-7、FC型は初代の築いたマーケットを確実に広げて、ロータリースポーツの可能性を広げて見せましたが、91年10月に3代目RX-7のFD型へバトンを渡します。
このFD型から「サバンナ」の名称が消え、加えてマツダの販売チャンネル政策により新規のアンフィニ店から発売されるため、「アンフィニRX-7」が新たな車名となります(97年に販売店の統廃合によりマツダRX-7に戻りますけどね)。
FDは3ナンバーサイズとなり、それによりデザインの自由度がさらに高まったことで独自の曲面フォルムを持つオリジナリティ溢れるスタイリングになりました。マツダロータリースピリッツの体現ここに極まれりといった感じです。よくも悪くも初代やFCが何かにつけ引き合いに出されていた「プアマンズポルシェ」という揶揄はもはや通用しなくなりました。
引用:https://in.news.yahoo.com/
ただ、それだけにFCの5ナンバー枠に収まるコンパクトさが対になって評価され、FD登場以降もFCのファン層は一定数をキープして今日に至ります。
頭文字DにおけるRX-7
1995年に連載がスタートし、2013年まで続いたしげの秀一先生作、大ヒット漫画「頭文字D」(イニD)。主人公はトヨタトレノ(86)を駆って峠バトルに挑み、公道最速を目指すストーリーです。漫画でも映画でも魅力的な作品には、主人公を喰ってしまうほど人気のライバルが登場するのがセオリー。
引用:https://akiba-souken.com/
イニDでも多数のライバルが現れますが、中でも人気が高かったのがRX-7を操る「高橋兄弟」でしょう。兄は白いFC、弟は黄色いFDを愛車とし、主人公とバトルします。
しげの先生の筆圧の高い作画に引き込まれた男性読者は、筆者も含め数知れずですが、意外とイニDは女性ファンも多く、そのうち相当数がFCを駆る高橋兄を推しメンとしていたのではないでしょうか。そんなことで漫画を経由してFCのことを知る若い世代も多く、決してFCはオジサンが昔を懐かしむときにだけ引き合いとなるクルマではないのです。
引用:https://www.instagram.com/maririri125/
RXシリーズの復活はなるか!
2012年にマツダがRX-8の生産を終了したことで、現在ロータリーエンジンを新車で購入することはできません。どう考えてみても今のクルマ業界にあってマツダ以外のメーカーが、ロータリーエンジンの開発を行うとは考えにくく、マツダが行動に出ない限りロータリーは永遠に過去のものとなってしまう運命です。
具体的にマツダがロータリーに関してアクションを起こしたのは、2015年の第44回東京モーターショーに出品されたロータリースポーツコンセプトカー「RX-VISION」でした。
引用:https://lifelog.heplib.com/
次世代ロータリー”SKYACTIV-R”のためのデザインステディとされたこのモデルは、その時のモーターショーで最も注目された1台でした。
当然このままのスタイルで市販は難しいでしょうし、何より次世代ロータリーはブレイクスルーすべき課題も山積しているのは2017、2019年と続く東京モーターショーにはRX系のコンセプトカーがなかったことからも明白です。
それでも多くのスポーツカー、ロータリー、マツダのファンは必ずやセブン直系のRXシリーズが還ってくると信じてやまないのです。筆者も含めて。
引用:https://mzracing.jp/
以上、クルドラ的名車ヒストリー「マツダサバンナRX-7(FC系)」でした。
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それでも・・・